2005年10月1日より、我が日野新選組同好会の代表をつとめてまいりました、局長近藤勇こと峯岸弘行は、「代表(会長)」の職を辞し、「名誉局長(最高顧問)」に就任しました。
以下の文章は2005年9月末日まで掲載されていたものです。ご了承下さい。

 日野市は「新選組のふるさと」と呼ばれ、幕末期に土方歳三、井上源三郎など、多くの新選組の隊士を輩出しました。しかし、残念ながら、私のふるさとでもある、この日野市において、20年位前までは、新選組に興味を持つ方は、ごく限られており、「村の長(おさ)」的存在である、80歳以上の町の名士の方の中には、新選組について語ることを拒否されるような雰囲気さえあったのです。そうゆうこともあり、私が、新選組についての詳細を知ったのは、18歳の時に、司馬遼太郎氏の「燃え剣」を読んでからです。小説の中で見つけた、「八王子」「分倍河原」そして、「日野宿」「石田村」「高幡不動尊」と聞き覚えのある地名がかかれているのを興奮して読んだ記憶があります。 新選組ファンの多くがそうであるごとく、私も、新選組の足跡をたどる習癖が徐々に身につきました。彼等が実際に、呼吸し、見、聞き、叫び、そして感じたその場面に自分も立ちたいと思いました。そして、彼等が何を思い、何を目指したのか、を知りたいと考えたのです。

 そして、京都訪問時に、ある方の紹介でお会いしたのが「京都新選組同好会」の横田局長でした。「新選組の活動を正しく後世に伝え、(京都)時代祭の列に新選組を加えること」を目的に1976年に結成された「同好会」の会長さんです。懇談の中で私が「このような会を作られて、継続的に活動されているのは、大変うらやましいですね。日野にもこんな会があればいいのですが」と言うと、「それなら、峯岸さんが会を作られたらよろしい。いや、是非つくりなさいよ」と激励され、「そうか、自分で作ればいんじゃないか」と私も思い、早速、13名の同志を募り、平成12年3月13日に、旧佐藤彦五郎邸(当時は「日野館」というおそばやさんだった)で結成式を行い、会を立ち上げまし。その後、結成時のメンバーは、大幅に変更がありましたが、インターネットで呼びかけたり、当時、土方陽子さんがご本人とお嬢様だけで運営されていた、「土方歳三資料館」のお手伝い(当会では、「土方歳三資料館周辺警護」と称しています)をさせていただくようになって、隊士(会員)は50人くらいに増えてきました。そして、何といっても、大河ドラマの第43作に「新選組!」放映が決定されてからは、1年間で会員数が倍(平成16年3月現在122名)になりました。

 「日野新選組同好会」の設立目的は新選組の歴史と情報を地元日野市民と共有し、新選組に関わる他団体と広く情報交換し、親睦を図り、もって「新選組」の存在を後世に語り継いでいくこととし、新選組に関する勉強会、講演会、映画上映会、史跡見学会等を開催しています。また、殺陣やパレードが好きな会員が日野市(ひの新選組まつり)はもちろん、函館(五稜郭祭)、板橋(滝野川新選組まつり)、京都(池田屋事変記念パレード)、会津(会津秋祭り)、よこすか開国祭、高知県のよさこいまつり全国大会等のパレードに参加しています。

 会員の構成は女性が67%を占め、学生・主婦・会社員・地方公務員・自営業・そして中には、歌手・浪曲師・漫画家(の卵)などもおり、ほとんどの会員は関東圏内ですが、それでも日野市の会員は11名であり、北は北海道(斜里町)から南は福岡県(北九州市)まで遠方から積極的に参加してくる方が多いのは、驚かされます。素人ですが、まじめに新選組や幕末の事件や人物などについて、研究されている会員も少なくありません。 そして、当会の特徴の一つは、複数の新選組関連のご子孫と大変懇意にしていただいていることです。調布の宮川豊治先生(近藤勇ご子孫)、土方陽子・土方歳三資料館館長、井上雅雄・井上源三郎資料館館長、佐藤福子さん(佐藤彦五郎ご子孫)、小島政孝先生(小島鹿之助ご子孫)、杉村和紀氏(永倉新八ご子孫)等々

 結成3年を過ぎたばかりの当会ですが、私には、新選組を通じての「夢」が三つあります。一つは、全国の世帯数(家庭数)の中で、(4人家族として)家族のうち、一人は新選組を知っていて、他人に説明ができる、そんな世の中になったらいいな、ということです。二つ目は、学校の教科書の中で「日本初の組織的治安警備部隊」として「新選組」を掲載されること。そして三つ目は、「新選組記念館(伝承館)」が作られる事です。一つ目の「夢」については、大河ドラマ「新選組!」が若年層に強力な支持がある香取慎吾さんが起用されたことによって、かなりの日本人が新選組を「知る」ことになると思います。二つ目は文部科学省次第ですが、三つ目については、現実味を帯びてきました。

 それは、新選組の強力なスポンサーであり、近藤勇と義兄弟の契りを結び、屋敷内に天然理心流の道場も建てていた日野宿総名主の佐藤彦五郎の旧屋敷が「日野宿本陣」として、日野市が購入し、平成17年春に正式に博物館として開館(一応、平成16年1月10日〜10月末までは仮オープン予定)が決定したからです。この140年前の建物こそ、新選組記念館(伝承館)と呼ぶにふさわしい建物だと確信しています。


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