2003年2月7日
 徳川第15代将軍 徳川慶喜 最初の謹慎の地 上野寛永寺見学会

葵の間と呼ばれる徳川慶喜公蟄居の間を特別に見学させていただきました。寛永寺の現境内は、旧大慈院の境内でありました。徳川慶喜が大政奉還のおり、朝廷からの処分が決まるまでの2ヶ月間謹慎生活をした部屋が現存しています。その部屋に案内していただき、説明を受けました。
徳川慶喜公事跡顕彰碑
この石碑の裏に慶喜公と奥方の墓所があります。一般は入場禁止で私たちが伺った際には、5年ぶりに正面の門扉が開けられたという。
ナポレオン三世から贈呈された陣羽織
当時としては、大変珍しい、真っ赤な葵の御紋が6箇所刺繍されている。
肖像画・写真・油絵
将軍襲名時、晩年期(共に写真)謹慎時(絵画)のお姿と慶喜公自ら描かれた油絵(レプリカ)が展示されている。
慶喜公が座られた和室
壁面に貼られた葵の壁紙はごく最近、貼られ、「葵の間」という名称も昭和になってから命名されたものである。