平成15年度 臨時地方遠征・高知 報告書
平成15年 8月 11日(月)〜13日(水)
今年で第50回を迎える高知の「よさこいまつり」。この記念すべき大会に、日野のよさこいを愛する方々で結成された 「日野新選組連」の皆様が、高知市からご招待を受けた事が高知遠征にゆくことになったきっかけでした。
100人もの踊り子さんが誠のダンダラ羽織を翻して踊る際に、その先陣を務めてはもらえないだろうか、 というびっくりするご依頼が同好会に舞い込んできたのでした。
こうして、期待と不安を胸にいだきながらも、龍馬のお膝元、南国土佐は高知市への臨時遠征へ出発しました。

高知市内。中央にある植物がいかにも南国・土佐という感じです。この大通りを歩いて参りました。

▼▼▼▼▼▼ 遠征 第一日目 8月11日(月) ▼▼▼▼▼▼
 前日10日の夜に第一陣として「日野新選組連」の皆様と一緒にバスに揺られて10時間以上もの長旅の末、高知に到着。 早朝、目覚めて最初に目に飛び込んできたのは朝焼けの海でした。

 高知市内の「桜の湯」で身を清めてから隊服に身を包み、準備万端「日野新選組連」の皆様と共に徒歩にて移動、 商店街(?)の通りにて初演。
 通りの入り口に立ち、順番を待っていたところへ、龍馬(可愛いけどとても大きな顔でした(笑))が登場、 TVや新聞の多くのカメラに囲まれながら、局長と固い握手をかわしました。
 そこへ、我らが地方車(じかたしゃ。日野では「ひじかたしゃ」と呼んでいる方が多い?)が颯爽と登場!
 浅葱色のダンダラ羽織を身に纏い、青と白の鳴子を手にした「日野新選組連」の皆さんが整然と立ち並ぶ前を、 局長を筆頭にゆっくりと歩き始めました。
 地方車から流れる音楽の音の余りの大きさに、事前に局長から手渡された耳栓の有難さを噛み締めてしまう程、 その音量は凄まじかったですが、隊士一同は毅然と前を見据え、今までにない緊張感の中、先陣を勤めました。
 その後、すぐバスで移動、その後も徒歩で移動したりしながら数ヶ所で演舞を行いましたが、 一番印象深かった場所は何と言っても、高知市役所前と本部追手筋でした。
 高知市役所では、「龍馬連」の皆さんの踊りを拝見できました。間近にじっくり見た「よさこい踊り」はこれが初めてでしたが、 その踊る姿は最高にカッコよくて、一緒に踊りたいと逸る気持ちを静めるのに一苦労でした。
 踊り終わられた「龍馬連」の皆さんに御声をお掛けしたところ、とてもきさくに写真に応じてくださいました。
 終了後、バスに乗り込み、名残惜しい思いで外を見ていましたら、「龍馬連」を始めとする皆さんが手を振って私達を 見送ってくださり、本当に嬉しかったです。

 踊り子さんにとっては一番燃えるという本部追手筋での演舞は、圧巻の一言で、NHKの生中継や再放送を ご覧になった方にはきっと感じていただけたと思います。
 出番を待つ間、雨が降り出しましたが「日野新選組連」を始めとする踊り子さんの熱気は冷めるどころか、 ますます熱くなっていき、次々とまぶしいスポットライトが照らし出すステージへと駆け出していく様は鳥肌が立つ程にかっこよく、 待ち時間はあっという間に過ぎたように思います。
 そして、いざ、我らが「日野新選組連」の出番です。
 局長を筆頭に先陣を切って歩き出した瞬間、強烈な会場の光の渦に飲み込まれるかのような錯覚を覚えました。
 贅沢を言うのならば、ゆっくり威風堂々歩くのも勿論良いのですが、羽織を翻して駆け出して行きたかったという気持ちも 正直ありました。
 途中、抜刀し、掛け声を掛けるパフォーマンスもしましたが、次はやはり踊りたい、と切実に思いました。 剣舞風よさこいで先陣、とかいかがなものでしょうか。 他の参加チームでも、まといや提灯、ギターやら持った方も踊っていますから、剣や槍での踊りもあり、ではと。

 ゴール地点に着いた時、ライトアップされた高知城が幻想的な佇まいで闇の中に浮かび上がっている様が 目に飛び込んできて、思わずその場に立ち尽くし、じっと見入ってしまいました。

 よさこい祭りに参加させていただいて、思ったことは、「よさこい」最高!そして、やはり「よさこいは踊るもの」ですね。 沿道からは、暖かい声援や拍手を頂けてとても光栄だったのですが、あの血が沸騰するかのような激しい興奮と感動は、 踊らねば真に体感できないものでしょう。
 次はぜひ、「日野新選組連」の皆様と共に再びダンダラ羽織を翻して、南国土佐、高知で踊りたいものです。

 残念な事に本番中の写真は一枚もありません。当たり前なんですけど。
 出番待ちの時に、雨からデジカメ守りつつ、同士の凛々しい後ろ姿をとったのが唯一でした・・・・。
 でも、雨に濡れながらもじっと耐えて隊旗を掲げている背中はかっこいいですね!
 そして、本番終了後、興奮冷めやらぬ隊士一同は、着替えもそこそこという勢いで、夜の土佐の城下へと姿を消したのでした。


▼▼▼ 地方車?土方車?? ▼▼▼

▼▼ 龍馬連の演舞 ▼▼

▼▼黄の袴は高知市長様!▼▼

▼▼▼ 龍馬&お龍? ▼▼▼

▼▼▼ お見送りして頂きました ▼▼▼

▼▼雨に濡れながらもひたすら待機▼▼

▼▼▼▼▼▼ 遠征 第二日目 8月12日(火) ▼▼▼▼▼▼
 翌日の12日は「日野新選組連」の皆さんは一日中、中央公園・本部追手筋・帯屋町アーケード・高知城追手門内といった 各会場で踊り続けていらっしゃいましたが、当会は一日、別行動で、服部殿いわく「四国水先案内人」島田魁殿の先導による 土佐の「車が無くては行けない史跡めぐり」を堪能しました。


▼▼▼ 桂  浜 ▼▼▼
 薄曇りではありましたが、時折射す太陽が波間をキラキラと輝かせている様はとても美しいものでした。
 龍馬もここで海を眺めたこともあっただろうと思うと、感慨もひとしおで、ひたすらはしゃいでしまいました。
 朝焼けや夕焼け、月の美しい夜などは、また違った美しさを見せてくれることでしょう。
 地元の人が真剣に羨ましい・・・・。

 ひとしきり、海と戯れた一同は次に、龍馬像とご対面。
 よく写真では見ていましたが、実際に見るとすごく高い位置に立っていたのですね、龍馬さんてば。
 写真撮るのに集中していたら、見上げすぎて首が疲れてしまいました(笑)

 その後、土産物買いにしそしんだ隊士一同でありましたが、お土産買うのならここが最適、 とは案内人を務めてくださった島田殿の言。
 土佐のお国言葉で日本酒の説明をしてくれているお店のおじ様の話の内容より、 土佐弁を話す方とお話できる事が嬉しかったです。
 ああ、本物の土佐弁だあって(笑)←ばかですねえ・・・・。
 とあるお店の一角に新選組グッズ(人形)が置かれているのを見た時はびっくりしましたが、でも嬉しかったです(笑)
 日野ならいざしらず、高知で、ですから、感慨もひとしおという・・・・。
 でも、このお土産、売れ行きはどうなんでしょう?
 もらった人は、なんで高知土産で新選組?って思いますよね(笑)
 まだ、桂さんや高杉さん、西郷さんが並んでいるなら、わかる気はするんですけど。
 
▼▼ 桂 浜 ▼▼

▼▼ 海と戯れる?隊士一同 ▼▼

▼▼ 龍馬像 ▼▼
▼▼▼ 中岡慎太郎館 及び 生家 ▼▼▼
 本来なら休館日で見る事はできなかったのですが、T文芸員様のご好意により、特別に開館していただきました。
 この時は、常設展示の他に、夏期特別展「迅衝隊出陣!」 という企画展も行われており、 土佐藩の戊辰戦争の関わり方について、鳥羽伏見の戦いと迅衝隊の高松出陣を中心に取り上げられていました。
 また、T文芸員様からは、直々に館内をご案内・ご説明頂き、一同たいへん勉強になりました。
 館内の映像は残念ながらありませんが、新選組がらみ?の資料もいくつかあり、中でも一番感嘆したのは、 鳥羽伏見の戦いの様子を描いた戊辰戦争絵巻(霊山歴史館蔵)でした。 関係者から詳しく聞き取り調査をし、証言を元に数年掛けて完成したものだそうで、内容のリアルさもさることながら、 その絵の精密さにはただただ驚き見入るばかりでした。
   その他、中岡慎太郎が着用していた裃、龍馬と慎太郎暗殺の場に有った血飛沫がついた屏風(複製)や 錦の御旗、東征官軍陣羽織、白熊、幕末期の古銃類等を見られたことも嬉しかったです。
 また、慎太郎の裃の小ささに見入っていましたら、T文芸員様から慎太郎の身長当てクイズを出していただきました(笑)
 153cm程度ということで、当時としても、男性としては小柄な部類に入ると思うのですが、彼の情熱的な活動には 驚き入るばかりで、特に、その健脚ぶりは、土方さんと良い勝負か、それ以上?という感じを受けました(笑)
 すごく、個人的に意外だったことが一つ。
 かの板垣退助の書「死生亦大矣」も展示されていたのですが、T文芸員様いわく、彼は書が達筆とはいいがたい人で (まあ、確かに他の皆々様が残された書と比べると何となく可愛らしい字だったような・・・・?) 人から頼まれてもなかなか書きたがらなかったそうで、なんと、ついには書の判子?を作っておき、頼まれると判で押したものを 渡したりしていたそうです。
 展示品はちゃんと直筆だそうですが(笑)
 コンプレックスなのは判りますが、涼しい顔でそういう事してたのかと思うと、 可愛らしくもあり親近感がわいてしまいました。

 慎太郎館と道路を挟んで、中岡慎太郎の生家があります。
 建物は1880年に転売され、後に台風のため壊れ、現在の建物は1967年に売渡証文などの資料をもとに復元したもの。
 急な坂を下っていくと、樹に囲まれた生家が清閑として建っており、門の前には小さな小さな小川が流れており、 その門をくぐると、別世界へきたように、空間の色が変わり、静寂が体に纏わりついてくるように感じられました。
 玄関を入って正面の奥に台所、左手に一部屋、右手に四部屋で、襖などが取り払われていたため、 実際の面積よりも広くあるように感じられ、当時の中岡家の立場を偲ばせる質素ながらも立派な造りの家で、 4月中旬から下旬にかけて屋根を葺き替えたばかりだそうです。

 慎太郎館の横に、階段を上った高台にある「石碑」、その隣には慎太郎が田野学館などへ通学する時に通った道「向学の道」 (烏ケ森登口)があります。
 生誕160年を記念して建立された中岡慎太郎銅像が生家側の道路沿いに、慎太郎館を見つめる位置で建立されています。
 ちなみに、銅像の高さは174pですが、実際の慎太郎の身長は153p程だとの事ですから、 至誠剛直の人と言われた本人としては、ちょっと照れくさいかもしれませんね。
   【安芸郡北川村柏木】

▼▼▼ 余  談 ▼▼▼
 慎太郎館へ向かう途中、車窓から見つけ思わず発作的に撮ってしまったモノ。時間があれば見に行きたかった。
▼岩崎弥太郎生家の標識(所在地:安芸市井ノ口一ノ宮甲)
▼野根山二十三壮士の眠る「福田寺」
 所在地:安芸郡田野町字堤ノ内。国道55号線沿いの奈半利川橋手前。
 行き帰り共に時間がなかったので、車から撮ったのでボケてます(泣)
 ※お墓の写真は瑞山神社で撮影したものです。


▼▼ 中岡慎太郎館・入口 ▼▼

▼▼ 慎太郎館側からの景色(右:生家)▼▼

▼▼ 門と屋敷内から見た通路 ▼▼

▼▼生家正面・左手の部屋▼▼

▼▼玄関・右手の部屋・床の間 ▼▼

▼▼室内・銅像・石碑への階段、向学の道▼▼





▼▼ 福田寺・二十三壮士の墓 ▼▼



▼▼▼ 武市半平太旧宅と墓所 ▼▼▼
 武市半平太旧宅は、緑豊かな静かな場所にありました。
 旧宅へと続く長い一本道を歩いていき、外から眺めていましたら、その家の方とお見受けするおばあ様が歩いて来られ、 「どうぞ(中へ入って見てください)」と言って頂いたのですが、急に押しかけた身としてはそれも憚られたので、 お気持ちだけ有り難く受け取らせていただきました。
 今、手前の家は現在住んでいらっしゃる方のお家で、旧宅はその敷地の奥にあり、 道路から見えるのは旧宅ではないそうです。
 今回は旧宅を拝見することはできませんでしたので、下記の写真のみでご容赦ください。
※写真は瑞山神社の拝殿内にある資料を撮影したもの。

 旧宅と反対にある道を歩いていくと、木々に囲まれた石段と鳥居が見えてきます。 上りきると、そこには瑞山神社の拝殿があり、様々な資料が展示されていました。
 中でも目を引いたのは武市半平太の妻、富子さんが半平太の死後、手内職などをしてその日その日を送った際の 作とされる押絵の一つでした。
 その他には、半平太や桂さんの似顔絵入りの図など、色々な資料が展示されていました。

 瑞山神社の右手の石段を登ると、武市家の墓所があり、武市半平太・富子・養子の半太などの墓石が、 うっそうとした木々に覆われて、ひっそりと佇んでいました。
 左側が富子さん、右側が半平太のお墓です。
 半平太と並んで建つ彼女の墓石は、そのおしどり夫婦ぶりは知らぬ者はないといわれた程で、それを証明する 様々のエピソードを残してくれている武市夫婦の仲睦まじさを想像させてくれました。
 お互いを思う気持ちの一途さは羨ましい限りですが、当時としては珍しい方だったようですね、奥様一筋、という殿御は。
 悲劇的な別れ方をしなければならかなった二人でしたが、今はずっと側にいられるのだから、 と1人感慨にふけった藤堂でありました(笑)
 どうしても、龍馬や慎太郎に比べ、良いイメージがないとよく評されてしまう半平太ですが、前者二人の資料館やら 何やらはありますが、武市半平太館とかはまだないですよね?いつか、できたら、行ってみたいものです。
 ただ、お花が一つも供えられていなかったのは、少し寂しかったです。
 持ってくればよかったと思いつつ、 せめて気持ちだけでも、と手を合わせて参りました。

【 高知市仁井田吹井 】


▼▼ 武市半平太旧宅・旧宅への道 ▼▼

▼▼瑞山神社の鳥居・神社・瑞山肖像画と像▼▼

▼▼富子夫人作の押絵・武市半平太旧宅▼▼

▼▼武市半平太旧宅 庭園・室内▼▼

▼▼ 神社内資料・武市家墓所 ▼▼
▼▼▼ 龍馬郵便局 ▼▼▼
 市街地の一角、周囲は住宅が立ち並んでいて、時間的にも遅めだったせいもあり、静かな雰囲気の中にありました。
 ポスト上部のモニュメントは、「坂本龍馬」に「桂浜の波」と「地球」を組み合わせ、 坂本龍馬の偉大さを表現したもの、だそうです。
 日野にも、歳三郵便局とか源三郎郵便局、総司郵便局とかあってもいいかもしれませんね(笑)
 誕生日やらバレンタインデーなどには郵便物とは違うものが入ってそうですけど。

▼▼▼ 余  談 ▼▼▼
 途中で見たもの第二段。
 龍馬の顔が大きくのったパーキングビル。これも実現は・・・(しつこい)


▼▼龍馬郵便局・龍馬ポスト・モニュメント▼▼

▼▼ 龍馬パーキング ▼▼


▼▼▼ 坂本龍馬生誕の地 ▼▼▼
 こちらは、市街地の大通りに面していて、大きなビルにはさまれて建っていました。
 石碑の前には、説明板の他に、龍馬をモチーフにしたベンチがありました。中心には龍馬の写真があり、 舟の舵の形にデザインされていて、両脇はピストルと龍馬の桔梗紋がデザインされていました。
 郵便局もさることながら、こちらのような形でなら真面目な話、実現できそうですよね、歳三ベンチとか。
 でも、畏れ多くて絶対に座れませんけど。

 朝早くから、夕暮れまで、ものすごい長距離を移動しながらの史跡めぐりはあっという間に過ぎてしまいました。
 そして、ホテルに戻ってから、再び土佐の繁華街へと飲みに繰り出したのですが、市内のあちこちで踊り子さんが踊っていて、 ただでさえ、史跡めぐりで滾っていた血が再燃してしまった隊士達の土佐の最後の夜は熱く更けていったのでありました。

▼▼▼ 余  談 ▼▼▼
 途中で見たもの第三段。
 宿泊先のホテルの前で発見!代行龍馬!車内はスゴイにぎやかそう。
 おまん、船に乗らんか〜とか勧誘されたりして(笑)
 これが、代行歳三とかだったら、乗った途端に尋問されるか、くどかれそう?
 ↑「しねーよ!!」と、函館から怒りの突っ込み来そうですね(汗)


▼▼ 坂本龍馬生誕の地の石碑  ▼▼


▼▼ 坂本龍馬生誕の地の龍馬ベンチ  ▼▼


▼▼ 代行 龍馬  ▼▼


▼▼▼▼▼▼ 遠征 第三日目 8月13日(水) ▼▼▼▼▼▼
 朝、バスが出る前にと、高知城へ徒歩で向かいました。

 追手門は閉まっているかも、と思いつつも、せめて来た以上は外からでも眺めようと行きましたが、 追手門は開いており、入る事ができました。
 重厚な追手門を通り、城への石段の上り口脇に建つ板垣退助の銅像を見上げながら、登り始めました。
 が、城は想像していたよりとても高く、次第に言葉が少なくなっていきました(笑)
 やっとたどり着きましたが、やはり天守閣へ通じる門は閉まっていて、仕方なくしばらく息が整うまで、と 二の丸跡の広場で休んでいましたら、お城の館長さん?がちょうど出勤なさってきたところで、お声をかけていただき、 8時過ぎになら天守閣へ行く門が開くことを教えていただきました。
(普段は9時ですが、よさこいまつり期間中は特別なのかもしれません)
 日野新選組連が来ていることもご存知でいらっしゃって、いろいろお話させていただきました。

 8時過ぎに、早速、通路をとおり、天守閣への入り口、懐徳館に到着。
 場内の造りはもうすばらしいの一言ですが、なかでも目を引いたのは「波の透彫欄間」と「武者隠」でした。
決して豪華ではない、簡素な感じの造りではありますが、その美しさは思わずじっと見入ってしまったほどでした。
 土佐の黒潮の波をかたどったもので、土佐の左甚五郎といわれた名工、武市高朋の作と伝えられているそうです。
 上段ノ間の左側にある広さ八畳の「武者隠」の表側は、とても豪華で見ごたえがあるもので、その扉の裏側、四畳の納戸の 造りを見ながら、幕末の時代、緊迫した情勢の土佐藩においては、ここで実際に息を潜めて控えていた事も多々あったのかも しれないと思うと、また感じが違って見えました。

 前日、土佐限定斎藤一殿が絶賛し、必見の価値ありとおっしゃっていた天守閣へ登っていく時に目にした内装は、 全て当時の様を思わせる重厚な木の造りで、本当にすばらしかったです。
 階段の多さと急さと危険さを除けば・・・・(泣)
   天守の防備設備の石落としなど、初めて知る仕掛けも見られましたし、なんといっても眺めがすばらしかった!

 などと、ひたっているうちに時間は過ぎ、バス集合時刻が目前に!!
 汗だくだくになりつつも一目散にひた走り、なんとか無事に?帰途に着くことができたのでした。


 今回の高知遠征に関して、本当に多くの皆様に支えられての3日間でした。
 本当にありがとうございました。


▼▼ 高知城外観・追手門  ▼▼

▼▼ 石段・外観・天守閣への通路の門 ▼▼

▼▼ 通路の内装・天守閣・懐徳館内 ▼▼

▼▼ 波の透彫欄間・武者隠 ▼▼

▼▼ 武者隠の裏側・階段・石落とし ▼▼

▼▼天守閣内の頂上・眺め▼▼

▼▼天守閣の階段・外通路・眺め▼▼

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